学校の紹介

01 過去の周年行事

100周年記念

100周年記念時の航空写真です。
現在の柏崎市陸上競技場をグラウンドとして使用していました。
近くに野球場が見えます。
記念式典、記念祝賀会、鼓笛市中パレードなどが盛大に行われました。
 

100周年の記念碑は今も変わらずに建っています

創立100周年記念誌が発行されました。
校舎の移り変わりや学校生活の様子が細かく記されています。
30数回の編集会議を経て完成しました。
100年間の歴史の長さや重みをひしひしと感じる記念誌です。

120周年

120周年記念時の航空写真です。現在のグラウンドが新しくつくられました。
体育館が2つありました。

創立120周年の記念誌『子どものための柏崎校物語』です。
「柏崎小学校のことで知りたいこと」についてアンケートをとり、それにこたえる内容で編集されています。子どもの目線に立ち、子どもたちに伝統ある柏崎小学校のことを知ってもらいたいという願いをもとに作られています。

140周年

140周年記念時の航空写真です。
現在の校舎とほぼ同じようです。

02 歴史エピソードⅠ(行在所あんざいしょ

柏崎小学校の敷地内に「柏崎行在所」の石碑が建っています。これは、明治天皇が北陸地方を巡幸されたときに、泊まられた宿の跡を示すものです。
明治11年に新校舎をつくり始めましたが、同時に明治天皇をお迎えするために、天井が金箔張りの2階建ての立派な建物を建てました。明治新政府の人たちは、この建物を見て、町の人に負担をかけすぎているから聞光寺にとまると言い出しました。これに驚いた町の代表者たちは、町の人みんなの負担ではなく、心ある人たちで建てたことを説明し、天井を銀紙に張り替えるなどして、やっと明治11年の9月13日に明治天皇に泊まってもらうことができました。
このときに、明治天皇のおともでついてきた人たちがすごいんです。
いわくらともみ、おおくましげのぶ、いのうえかおる・・・・・明治の新しい国づくりの中心になった人ばかりです。

そして、おともの人たちの中に、山岡鉄太郎(鉄舟)さんがいました。
いわゆる「幕末の三舟」のひとりとして有名ですが、剣や書の達人として知られています。
山岡鉄舟さんが明治天皇のおともで柏崎にとまったときに、町の人がお願いしてかいてもらったのがこの「柏崎校」です。今でも職員玄関にあります。
 

03 歴史エピソードⅡ(トラ)

職員玄関にあるトラのはく製は明治時代に柏小にやってきました。
明治時代にえんま市に来た動物園のトラが死んでしまったのを、譲ってもらったのでした。
当時のお金で百円でしたが、今の価値でいうと300万円ぐらいだそうです。
柏小にやってきたトラは100年以上も柏小の移り変わりを見守っているのです。
柏崎小学校のかわいいキャラクターとしても活躍しています。

04 歴史エピソードⅢ(青い目の人形)

1927年(昭和2年)、平和を運ぶ人形大使として、12895体の青い目の人形が、アメリカ合衆国から日本へ送られました。そのころ、柏崎には2つの青い目の人形があり、1つは柏崎幼稚園のシェラブラーちゃん、もう1つは柏崎小学校のミルドレッドちゃんでした。
平和の願いもむなしく、昭和16年に日本とアメリカは戦争になり、「平和の人形大使」は「敵国の人形」となり、焼かれる運命となりました。当時の角張校長先生とたくさんの人形を収集していた岩下さんがはその人形を救う方法を考えました。「青い目の人形はすぐに燃やすように」という国からの記事が出された1日前に、この2つの人形は岩下さんの蔵に収められ、燃やされるのをまぬがれたのでした。

05 つながリアン

柏崎小学校は、人・もの・こと との「つながり」を大切にしています。
そして、柏崎小学校には、さまざまなつながりを大切にするキャラクターが存在します。
その名も「つながりマン」
学年 学年 つなげるヒーロー つながりマン 『レッド』
わくわくグループ つなげるヒーロー つながりマン 『ブルー』
地域の人と つなげるヒーロー つながりマン 『イエロー』
様々な集会や行事で登場します。

06 柏崎小学校の校歌・柏木会歌(児童会歌)

校歌

現在の校歌は、大正11年、柏崎小学校創立50周年記念に、第19代小林三郎校長が、作詞を地元の中村葉月氏に、作曲を友人である幾尾純氏に依頼したことで制定されたと言われています。
校歌 作詞 中村葉月 / 作曲 幾尾 純

柏木会歌

柏木会歌(児童会歌)は、創立120周年を記念して制作された歌です。
柏木会歌 作詞・作曲 柏木会・すぎのこ / 補作指導 今成 満

みんなの宝物 柏小

「みんなの宝物 柏小」は、創立130周年を記念して制作された歌です。
みんなの宝物 柏小 作詞 ドリーム学年 / 作曲 小林 弘人